浄土真宗

「生死を超える道としてのビハーラ活動(1)」

    生死を超える道としてのビハーラ活動(1)
                                         
                 志慶眞 文雄

 □ ビハーラ医療団への参加

 ビハーラ医療団に参加したのは、田代俊孝先生(同朋大学教授)から声をかけていただいたのがきっかけでした。今では毎年、全国のビハーラ医療団の仲間と再会するのが楽しみであるだけでなく、私の浄土真宗の学びにおいても大きな励みになっています。
 最初は、ビハーラ活動というと終末期医療・緩和医療などのイメージが強く、一小児科開業医とビハーラ活動は縁がないのではないかと思っていました。大きな病院の勤務医の時は、難病の子や亡くなる子を看取ることもありましたが、そうしたこととはかかわりのなくなった状況でどうビハーラ活動と向き合えばいいのかわかりませんでした。
 それで、これまでのビハーラ活動やキリスト教のホスピス活動を知ることからスタートしました。田代俊孝先生や柏木哲夫先生(淀川キリスト教病院名誉ホスピス長)の著書、キューブラロスの『死ぬ瞬間』などの書物を取り寄せ、ビハーラという名前の由来、その活動内容や欧米のホスピスの現状、日本におけるホスピス活動の内容などを学びました。はじめて手にしたキューブラロスの『死ぬ瞬間』には驚きと感動を覚えました。

 □ あなた自身が問題ではないのですか?

 私が浄土真宗の聞法を始めたのは、自らの病気とか医療の問題などに直面したからではなく、生ききれない死にきれないという自らの生死の問題に翻弄されゆきづまったからでした。
 十歳のある日、自分がいずれこの地上から消えてしまうという恐怖感とむなしさに襲われ、その日を境に生きていくのがつらくなり、誰か助けてくれという悲鳴をあげながら過ごしてきました。人間はいずれ必ず死にます。人類だって未来永劫、永遠に存在するわけではなく、いずれ絶滅します。そうであるならば、私たちが生きている意味とはいったい何だろうか。自分に死があっても人類が滅亡するにしても、なおかつ生きてよかったと言える世界が本当に開かれるのだろうか。それがないのならば、生きることは無意味でむなしいことではないのか。そのようなことを考えながら生きてきました。
 小学・中学・高校時代、生きるのがむなしいのは死があるからだと思っていましたが、大学時代のある日、ではもし千年、二千年、いや永遠に死なないとしたらむなしさを感じないで生きていけるかと問うたとき、今を生ききれないまま永遠に生きつづけるとしたら、それこそ永遠の生き地獄だと身震いしました。死があるのも確かにむなしいけれども、今を生ききれないことが自分の最大の問題だとはじめて気づきました。これは今から思えば仏道に直結するとても大切な気づきでしたが、ではどうしたら生きてよかったと言える世界が開かれるのかはわからないままでした。
 それで、どうせ死ぬ人生なら、小さい頃から興味を抱いていた「もののあることの不思議」を研究して死にたいと広島大学大学院に進学し素粒子研究を始めました。しかしいくらHow(どういう具合に)を研究してもWhy(なぜそうなのか)は解明できません。結局むなしさは深まるばかりで研究生活にゆきづまり退学しました。
 路頭に迷っている時、友人・知人の勧めもあって広島大学医学部に三十二歳で再入学しました。合格発表のあったその日に、真宗の教えを聞いていた妻に勧められて細川巌先生(福岡教育大学名誉教授)の「歎異抄の会」に参加しました。
 『歎異抄』そのものの話は難しくてわかりませんでしたが、ひとつはっきりしたことがありました。これまで大学院に行けば何とかなるか、医者になれば何とかなるかと、やるべき対象を変えることで生死の問題の解決をはかろうとしてきましたが、「あなたが生ききれない死にきれないと苦悩しているのは、やるべき対象に問題があるからでなく、あなた自身に問題があるからではないのか」という問いを、私は『歎異抄』から聞きました。それは外に向いていた目が内に向く大きな転換点で、浄土真宗の教えを聞くきっかけとなりました。どう生死を超えるか、それが私の最大の課題でした。

 □ 生死を超える道としてのビハーラ活動
 
 終末期医療・緩和医療などの医療活動としかうつらなかったビハーラ活動は、私が直面していたこの生死の問題とは質の違う活動ではないかと考えながら、第一回ビハーラ医療団研修会へ参加しました。それから現在までの十六年間、生死を超えるという課題とビハーラ活動がどのように関わるのかを模索しながら実践してきました。この二つの関係をつなぐ大きなヒントになったのが「スピリチュアル」という概念でした。日本語で「霊的」と訳されることもありますが、必ずしも適切ではないということでそのまま「スピリチュアル」とカナ書きされています。
 人間の苦痛は「全人的苦痛(トータル・ペイン)」、つまり「身体的苦痛」だけではなく、「社会的苦痛」、「精神的苦痛」、「スピリチュアルな苦痛」などが複合したものであると言われます。「社会的苦痛」とは経済的不安、仕事を失う不安、家族の生活の不安など、「精神的苦痛」とはうつ状態、いらだち、病気が治らないかもしれない不安などです。「スピリチュアルな苦痛」とは、生きる意味への問い、死んだらどうなるのかなどの死の恐怖、自責の念などと言われます。
 私が長年翻弄されて来た「生ききれない死にきれないという生死の問題」はスピリチュアルな苦痛と言い換えることができます。多くの人にとって、病気になって身体的苦痛、社会的苦痛、精神的苦痛に直面してからスピリチュアルな問題に苦悶するのが一般的でしょうが、私は十歳の時から激しいスピリチュアルな苦痛に押し流されて来たというのが実感です。このスピリチュアルな苦痛にどう対処するかを考えながらビハーラ活動に取り組んできました。
 もちろんスピリチュアル以外の苦痛を軽減する手法を軽視しているわけではありません。たとえば「身体的苦痛」には「肉体の痛み」「呼吸困難」「嘔気・嘔吐」「全身倦怠感」などの苦痛症状がありますが、「肉体の痛み」ひとつとっても、おろそかにできない問題です。私の知人は、その父親が癌になり、優しい父親でしたが癌の末期、病棟中に響きわたる苦痛の叫びをあげながら亡くなったと無念の思いを語っていました。「肉体の痛み」の緩和がなければ、人はその苦痛で押しつぶされてしまいます。ですから苦痛を軽減する医学上の技術的な問題はとても重要です。諸外国のようにモルヒネなどで苦痛のコントロールをする方法が広く一般的に行われることを切に願っています。
 ただし、「身体的苦痛」だけではなく、「社会的苦痛」、「精神的苦痛」などへの対処は、スピリチュアルな問題、つまり「生死を超える」という仏教の根幹をなす視点の中で行われるべきであると、私は考えています。その意味することを考えてみましょう。
 「ビハーラ医療団」設立の「趣旨」には、《 我々、仏教を学んできた医療関係者は「ビハーラ医療団」を結成し、それぞれの場で、仏教精神にたって医療活動を行い、自ら学び、人をして教え信ぜしめるという「自信教人信」の立場で聞法し、交流、協力して社会に貢献していきたい。》とあります。
 ここで大切な視点は、医療活動の一部として仏教精神が必要だというのでなく、仏教精神にたって医療活動を行うということです。
 しかし現代の医療活動は、宗教精神(仏教精神)に立たない医療活動がほとんどでしょう。人間の理性や知識でもっていのちを対象化しての医療活動、つまり病気を診て人を見ない医療になっています。死は敗北としか見なされませんから延命第一の治療にならざるをえません。現代の医療活動が直面している矛盾や課題の一つの大きな原因がここにあります。
 一方、人間の苦痛を「全人的苦痛(トータル・ペイン)」ととらえるのはいいのですが、「スピリチュアルな苦痛」を「身体的苦痛」「社会的苦痛」「精神的苦痛」と並列的に考える姿勢に私は疑問を感じています。「スピリチュアルな苦痛」を他の医療活動と同じレベルで考えると、それは医療を円滑にするための一手段になってしまいます。しかしこれでは人の生老病死にかかわる大事な活動が、医療者や患者が自身を問う教えにはなりません。「スピリチュアルな苦痛」、つまり宗教の問題は、人間が生きていく上でもっと根源的な問題です。

 □ たもつところの他力の仏法なくは、なにをもてか生死を出離せん

 では仏教精神にたっての医療活動とはどういうことでしょうか。
 どの人も死すべき生を生きていて、しかも死はいつおとずれるかわかりません。ですから「スピリチュアルな苦痛」、つまり「生死を超える」という課題は、死や病気に直面したときだけでなく、現に今、すべての人にとって大事です。ここにビハーラ活動は、癒しや療法の枠を超えているという深い意味があります。
 親しくしていただいた金沢の藤場常清先生(常讃寺前住職)から、かつてこういうお話をうかがったことがあります。北陸では人が亡くなりそうな時、お寺の住職が呼ばれて臨終説法をしますが、念仏がわからんと言っていた人でも浄土真宗の話を聞いてきた人は、いよいよとなった時「お念仏だけですよ」と言うとうなずいて往かれると。しかし、これまで仏法にご縁のなかった者は、いくら「お念仏だけですよ」と言ってもうなずくことができず不安なまま亡くなられることが多いと。日頃からお念仏に触れていることが大切ですと話されていました。
 『口伝鈔』の一節が思い出されます。『口伝鈔』とは真宗本願寺三世覚如上人の著で、かって本願寺二世如信上人から口伝えに聞いていた親鸞聖人の言行二十一ヵ条を弟子乗専に口授して筆記させた書です。
 十七条「凡夫として毎事勇猛のふるまい、みな虚仮たる事」に、仏法をいただく上でこれまで私が大切にしてきた言葉があります。親鸞聖人の生きておられた当時、世間一般では、愛着に引かれて死んでゆく者が悪道におちないように、妻子や親族など愛着の深い者を臨終のそばに近づけたり見せたりしてはならないと、引き離す習慣があったようです。しかしどんなに引き離して近づけなくしても、「たもつところの他力の仏法なくはなにをもてか生死を出離せん。」とあります。現代語訳すると、「死んでゆくものが、他力の仏法を心に深くたもつことがなければ、なにによって生死の迷いを離れることができようか。」となります。
 この「たもつところの他力の仏法なくはなにをもてか生死を出離せん。」という視点は、お念仏をいただきながら医療活動を行う私たちのビハーラ活動の原点でしょう。この視点がビハーラ活動の中心に据えられてはじめて、ビハーラ活動は生死を超える道、つまり生老病死を縁として医療者も患者も自分の有り様に目覚め、私たちを生かしている法に目覚めさせさせる仏道となります。
 二十年前に小児科医院を開院するとき二階に聞法道場をつくり、仏教講演会、仏教読書会などを開催しています。こうした活動を基盤としながら日常の医療活動をして行くことがそのままビハーラ活動であると私は認識しています。

 

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