浄土真宗

「生死を超える道としてのビハーラ活動(3)」

       生死を超える道としてのビハーラ活動(3)                                     
                 志慶眞 文雄

 □ 親鸞聖人の求道の原点と「生死出ずべきみち」

   「山を出でて、六角堂に百日こもらせ給いて、後世を祈らせ給いけるに、九十五日  のあか月、聖徳太子の文をむすびて、示現にあずからせ給いて候いければ、やがてそ  のあか月、出でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、たずねまい  らせて、法然上人にあいまいらせて、又、六角堂に百日こもらせ給いて候いけるよう  に、又、百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに、ただ、後  世の事は、善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべきみちをば、ただ一筋に  仰せられ候いしをうけ給わり‥…。」(『恵信尼消息』)

 これは親鸞聖人の妻・恵信尼公の手紙の一節です。聖人が、比叡山を降りて六角堂に参籠され《後世を祈らせ給いける》こと、そして《後世の助からんずる縁にあいまいらせん》と法然上人を訪ねたことが記されています。つまり親鸞聖人の求道の原点は、「後世を祈る」「後世の助かるような縁に遇いたい」ということでした。その課題に応えたのが、法然上人の「生死出ずべきみち」だったのです。その「生死出ずべきみち」とは、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひと(法然)のおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」(『歎異抄』(第二条))とあるように、「ただ念仏」の道でした。蓮如上人の「後生の一大事」もまた同じ課題でしょう。
 「生死出ずべきみち」(「生死を超える道」)は、万人に共通する普遍的課題ですが、それを掘り下げると生死が見渡せる根源的な世界が明らかになります。

 □ 「生」と「活」:人生には二つの課題がある

 地震、津波、台風、洪水などが各地で起こっています。これは自然災害ですが、私たちの身心も煩悩に見舞われっぱなしです。病を抱え、老いに不安を抱き、死の暗い影におびえ、愛するものとの別れに苦悩し、恨みや憎しみのなかで心身を焼かれ苦しみます。なぜこんなにも苦しいのか?/なぜこんなにも寂しいのか?/なぜこんなにも世界は悲惨なのか?/何が問題なのか?/この娑婆世界を生きることは、容易ならざることです。もしこのまま人生を終るとしたら、人生とはいったい何でしょうか。難度海といわれるこの人生に、解決の道はあるのでしょうか。
 私は、人生には生活の「生」と「活」の二つの課題があると考えています。 
 「活」は一言でいえば、生きるためにどのようにパンを手に入れるかという課題です。日常の私たちのエネルギーのほとんどは、この「活」に費やされています。衣食住の問題、仕事の問題、健康の問題、どのように地位や名誉や財を手に入れるかなど、いわゆる世間一般の問題です。世界中が利潤・利益を上げることに血まなこになり、その結果、貧富の差は拡大し弱者は切り捨てられ、生活や雇用に不安を抱える人々が急増している今、パンを手に入れるという「活」にかかわるセーフティネット(「安全網」)を構築することは重要な問題です。
 しかしながら人生には、「パンを食べても死ぬ」という別の重要な問題があります。それが「生」の課題です。「どうせ死んでしまうのに、パンを食べるのにどんな意味があるの」という、生きることや死ぬことの意味を問う課題です。宮城しずか先生は「私が日1日と老いてゆき、そしてついには死んでしまうということが避けられない事実である以上、その事実をきっぱりと受けとめて生ききってゆける道こそが求められるのです」と言われました。人は100パーセント死にます。人類もいずれ滅亡します。死があっても虚しくないと言える人生は本当に開かれるのでしょうか。
 「活」と「生」は密接に関係しどちらも大切ですが、質的に次元が異なる問題です。しかし世間では、「活」と「生」の問題への意識が曖昧なため、地位や名誉や財や健康などの「活」でもって「生」の問題の解決を図ろうとします。私も長い間、素粒子を研究すれば何とかなるか、医者になれば何とかなるかと、「活」を充実させることで「生」の課題を乗り越えようと不安で眠れない夜を重ねてきました。しかし「活」でもって「生」の根本的解決を図ることはできませんでした。地位や名誉や財産などはないよりあったほうがいいでしょう。しかしそれらすべてが満たされていた釈尊がそうであったように、ないよりあったほうがいいという相対的なものでは「生」の課題はこえられません。ぜひともなければならないものでしかこえられません。そのぜひともなければならないものとは何でしょうか。それが宗教、仏教の課題ですが、その課題に真っ正面から取り組んだのが釈尊や親鸞聖人でした。

 □ 生死を「越える道」と生死を「超える道」

 私は、「生死をこえる道」には「越える道」と「超える道」があると考えています。その違いを、「活」と「生」の視点からながめてみます。
 強い人も弱い人も、真面目な人も不真面目な人も、やさしい人も強情な人もみな、自我に根拠をおいて「人生とはこんなものよ」と自らの思いを固めて生死をこえようとします。その手段が地位、名誉、財などです。これが「活」の次元で「生死を越える道」、いわゆる「世間道」です。この「世間道」に対して、インドの龍樹菩薩(150〜250年頃)は「世間道をすなわちこれ凡夫所行の道と名づく。(中略)凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたわず、常に生死に往来す。これを凡夫道と名づく。」(『十住毘娑沙論』)と喝破しました。日頃の私たちの物の考え方は妄念妄想だから真実の世界(涅槃)に至る事はなく、世間的な「活」でもって生死の問題を解決しようとする「生死を越える道」は、常に迷いの道を往来するだけであると。
 一方、地位、名誉、財ではなく、真実の道理・ダルマによって迷いをこえる道があります。これが「生」の課題に応える「生死を超える道」・仏道です。龍樹菩薩は、「出世間は、この道に因って三界を出ずることを得るがゆえに、出世間道と名づく。」(『十住毘娑沙論』)と述べています。
 『歎異抄』(後序)には、「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」という親鸞聖人のことばがあります。「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなき」が「活」の世界の様相、「ただ念仏のみぞまことにておわします」が「生」の世界の様相です。「ただ念仏(出世間道)」は、私たちの日頃のものの考え方(世間道・凡夫道)の延長線上にはなく、私たちの考え方を根底から転換して初めてうなずける世界です。つまり「活」と「生」は質的に次元が異なる問題であるとはそういうことです。それで、中国の善導大師(613〜681年)は、覚悟して仏法を求めることを渾身の力を込めて万人に呼びかけました。「今こそ活だけの迷いの世界から出よう!」と。「迷いの世界を出る」とは「生死を超える」ことですが、それは「生死をつらぬく永遠のいのち」の世界への目覚めを意味します。

 □ 「生死をつらぬく永遠のいのち(阿弥陀仏)」への目覚め

 宇宙万物の真実なる姿を一如・真如といいます。「如」とは一切のものが自他差別のない平等寂滅なる様です。その真如の中にありながら、自らの我愛・執着のために優劣、損得、自他など差別の世界に沈んで苦悩しているのが煩悩具足の私たちです。仏教が目覚めの教えであるとは、自らの迷妄に目覚め、私たちのいのちの帰依所である「生死をつらぬく永遠のいのち」を自覚する道だからです。私たちがひとりぼっちの孤独から救われるのは、その《如来のいのち》の通ったわがいのちであると知らされた時です。
 そのことを示す出来事を、親鸞聖人は『涅槃経』から『教行信証』(信巻)に丁寧に引用しています。阿闍世という王子が、父親である王・頻婆娑羅を殺すという王舍城の悲劇と言われている物語です。阿闍世は父を殺した後、後悔の念にさいなまれます。しかし釈尊の教えによって、ついに煩悩具足の身に如来への目覚めが起こります。このことを阿闍世は自ら「無根の信」と表現し、「我いま未だ死せざるにすでに天身を得たり。短命を捨てて長命を得、無常の身を捨てて常身を得たり。」と感動をもって語っています。
 また阿闍世の母(韋提希)は、息子によって夫が殺害されるという悲劇を前にして、取り乱し釈尊を責め号泣します。その韋提希も、釈尊の導きによって如来への目覚めが起こります。「韋提希、五百の侍女と、仏の所説を聞きて、時に応じてすなわち極楽世界の広長の相を見たてまつる。仏身(阿弥陀仏)および二菩薩を見たてまつることを得て、心に歓喜を生ず。未曾有なりと歎ず。廓然として大きに悟りて、無生忍を得。」(『観無量寿経』得益分)と、「生死をつらぬく永遠のいのち」に目覚め無生忍を得るという大変なことが起こります。
 無生忍とは、本来ものの真実の姿は生滅変化を超えていることを悟ることですが、釈尊が阿難に託した最後の願いは、「汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり。」(『観無量寿経』流通分)でした。つまり南無阿弥陀仏の名号は不生不滅の真実法ですから、この名号を信受することが無生忍を得ることだったのです。そして親鸞聖人は、無生忍を得るとは不退の位・正定聚の位に定まることと同じであると見ていました。(『尊号真像銘文』)
 北海道・西念寺の坊守、鈴木章子(あやこ)さんは、42歳で乳癌と宣告され苦悩しますが、親鸞聖人の教えに導かれて「生死をつらぬく永遠のいのち」に目覚め、多くの感動的な詩を残し47歳で浄土に還られました。

  「生と死」  私にとりまして/ 生と死/
         同意語と肯けます

  「無題」   治っても / 治らなくても/ 御手の中/
         如来(あなた)まかせの/ この気楽さよ/
         ナムアミダブツ /ナムアミダブツ

  「生死」   長いいのちの歴史の中に/
         今 私があることに気づかされたら/
         生死のきれめが見えなくなりました

 □ お念仏が開く「生死が見渡せる絶対平等の地平

 阿闍世は、永遠のいのちに目覚めたとき「世尊、もしわれ審かによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせず。」と釈尊に表明します。あれほど地獄に落ちることを怖れていた阿闍世が、もろもろの衆生を救済するためなら自らは阿鼻地獄に落ちても苦としないというのです。また阿闍世の母・韋提希も、「世尊、我いま仏力に因るがゆえに、無量寿仏および二菩薩を見たてまつることを得つ。未来の衆生、当にいかにしてか無量寿仏および二菩薩を観たてまつるべき。」(『観無量寿経』第七華座観)と、世尊が世を去られた後の人々は、どうすれば無量寿仏と二菩薩を見ることができるのでしょうかと、自分のことだけで精一杯だった韋提希が、釈尊亡き後の人々のことにまで思いを馳せます。
 人間が救われるとは、死があってもなおかつ虚しくないといえる絶対的真実への目覚めが成立することですが、それは生きとし生けるものが平等に存在せしめられている共なる根源的な世界が開かれることだったのです。阿闍世と韋提希の姿はこのことを教えています。

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