浄土真宗

第11〜20回 案内文

『なるほど!! 仏教連続講座』の案内文  

第11回 2007年9月  

   小さい頃 月が煌々(こうこう)と照り
   この世とあの世がとけ合ったような不思議な旧盆の夜
   エイサーの音を遠くに聞きながら
   生きていることの不思議
   死んでいくことの不思議を思っていた

 仏教は、単に世の中でどう生きたらいいのかを教える処世術ではありません。人間の思い込みや偏見を照らしだして、生と死を超越した真実の世界を届ける教えです。このいのちの根源である故郷を見い出すまで、私たちのこころ休まる事のない放浪の旅は続きます。真実の道理を届ける仏教の教えに耳を傾けてみませんか。

第12回 2007年10月  

「グゥーワ・グゥーワ」と夏の終わりを告げる蝉(クロイワツクツク)の鳴き声は何か物悲しい。ひたすらに次に命を紡(つむ)いで約一週間で地上を去る。
 私たち人間もまた同じである。

   いったい命とは何だろう。
   私たちはなぜ存在しているのだろう。
   生きるとは何だろう。
   死ぬとは何だろう。

 しかし心を澄ませば、目に見えないが生と死を貫く全宇宙を存在せしめた無限なる大いなるいのちのはたらきが感じられる。蝉もまた生死を超えた悠久の歴史の表現。すべては一如から来生(らいしょう)したものであると仏教は説く。


第13回 2007年11月  

 私たちは人生で、さまざまな苦しい出来事に遭遇します。何でこういうことになったんだろうと苦しむ事も・・・。そのように私たちを苦しめ、いきいき生きることを妨げている根本的な問題を、仏教では四苦八苦と言います。たとえば老いる苦しみ・病む苦しみ・死ぬ苦しみ・愛する者と別れなければならない苦しみ・怨んだり憎んだりする者と会う苦しみ・求めても得られない苦しみなどです。
 この苦の原因は、人間が正しいものの道理を無視していたずらに自らに執着することが原因です。仏教はこの我執を超える智慧の教えです。そしてひとりひとりの上に、人生の苦難の中をいきいきと生きる力強い人生を実現します。仏教との出遇いがあなたに大きな広い視点を恵みます。

第14回 2007年12月  

 仏教連続講座も先回から、中国の善導大師の二河白道の話に入りました。
 貪りの逆巻く濁流に押し流され、怒りの炎に身を焼かれ、たった一回限りの人生を空しく過ごしたくない、心の底から「生まれてきてよかった!」と言える人生を送りたい。しかしながら、なかなかそう言える人生は私たちの上に開かれません。それは私たちが自分とは何であるか、真実の人生とは何であるかが皆目わからないからからです。
この迷いの人生から、人が一生を捧げても決して悔いることのない人生の方向があることを二河白道という譬喩は明らかにしています。

第15回 2008年1月  

 新年あけましておめでとうございます。
 地球の自転で一日を刻み、地球の公転で一年を刻む。ある一日を新年の元旦にする。そのようにして年月は経巡る。そして「いま、ここ」は二度とない「いま、ここ」。
 地球の属する太陽系は銀河系の渦の中にあり、銀河系は大宇宙を猛スピードで動いている。目もくらむような大宇宙の不思議。
 恵まれて人間に生まれた事も不思議。犬も猫も草木も不思議。太陽も雲も石ころもすべて不思議。思えばあることすべて不思議。
 そして仏法不思議。これに出遇わずして、人はどうして生きていけるのだろう?どうして死んでいけるのだろう?


第16回 2008年2月  

 先日、遺伝子の専門家の村上和雄先生のお話を聞く機会がありました。
 人間の遺伝子(DNA)を精力的に解析している時に、ふと思った事があると言うのです。「読めた読めた」と喜んでいるけれども、実はすでにして書かれているものを読んでいるだけであるという事実に気づいて、不思議な感動を覚えたと言うのです。
 地上の生きとし生けるもののDNAは、同じ四種類の塩基配列で書かれています。つまりいのちは全く共通の言語で表現され、その言語で書かれた途方もない膨大な設計図がすでにしてあります。書かれているものがあるということは書いたものが存在するということで、それを村上先生はサムシング・グレート(大いなるもの)と名付けられまし た。
 まさしく、一切のいのちは通じ合い、私たちは生かされて生きているんですね。


第17回 2008年3月  

 かって絵本『葉っぱのフレディ』がベストセラーとなり、今、『千の風になって』の詩が人々の共感を得ています。いかに多くの人々が「死」や「別れ」に関心を寄せているかがわかります。
 まさしく仏教はその「死」や「別れ」を課題にしてきました。『大無量寿経』という経典には、
     人、世間愛欲のなかにありて
     独り生れ 独り死し 独り去り 独り来る。
とあります。
 この人間の絶対的な孤独、人間の有限性を超える道を求め、人間の闇とそれを包むひかり輝く真実の世界を見出してきたのが仏教です。それは人々の心の琴線に触れる瑞々しさと力強さをもった教え、くめども尽きないいのちの泉です。 
 どうして、人々は生死を超える視点を恵む教えを聞かないで生きていけるんだろう?


第18回 2008年4月  

 目を閉じて感じてみよう/こうして存在することの不思議を/存在って何だろう/庭に咲く小さな花も/緑の木々も/吹きわたる風も/青い海も/太陽も/一切が不思議
 人間を支えているものは/人間でないものも支えている
 生命を支えているものは/生命でない物も支えている
 生を支えているものは/死も支えている
 これは私たちの置かれている世界の根源的な事実
無条件に許され/一切は賜ったものであると思えたとき/
ちっぽげな心に/尽きることのない喜びの泉が湧き出る
嬉しい時/悲しい時/苦しい時/つらい時/さびしい時/ 
不思議の真只中で/いのちの根源へナムして生きる

第19回 2008年6月  

 まりさんに初めて会ったのは、2006年6月21日の国頭村安田でのヤンバルクイナの保護を訴えるコンサートでした。圧倒的かつ魅力的な声で自然、いのち、宇宙、愛、人生などが歌いあげられ心が震えました。この独特な新屋まりワールドを多くの方々に届けたいと願ってきました。その夢がやっと実現します。

    2008年6月14日(土)
    場所:しげま小児科医院2階
 
14:00〜15:00 ブッダに学ぶ「生死をこえる道」

            講師:志慶眞 文雄

15:00〜16:30 新屋まりコンサート『花のねがい』
       シンガーソングライター:にいや まり
                  (広島県より来院)


第20回 2008年7月  

 暑い日が続きます、お元気ですか。生死に悩む人々と共に、考える場を持ちたいと講演会を始めて 20回を迎えました。
 人間は必ず死にます。もしあと数ヶ月の命です、何を大切にして生きるか三つだけあげて下さいと言われたらあなたは何をあげますか。その三つをいま大事にして生きていますか?
 死から生を考えることは、今の生をどのように生きていくべきかを明確にします。
 人間は必ず死にます。人類もいずれ滅びるでしょう。そうであるならば生きる希望とは何でしょうか。自らの独断と偏見で死に対面していませんか?
 死があっても虚しくないと言える人生は開かれるのでしょうか。そのことを仏教にたずねてみませんか。


関連項目  


 

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